葛城北の丸から車で約15分の場所にある「秋葉総本殿可睡斎」では、
供養を終えた雛人形たちに新たな命を吹き込み、2015年から「可睡斎ひなまつり」を開催しています。
国の登録有形文化財である瑞龍閣の大広間に飾られた、天井まで届きそうな日本最大級の32段1,200体のお雛様は壮観です。
※画像提供:秋葉総本殿 可睡斎
『ふくろい遠州の可睡斎ひなまつり・室内ぼたん庭園』
【期間】 令和7年1月1日(水・元旦)~3月31日(月)
【時間】 午前8時~午後5時(閉館)
【拝観料】700円<小学生以下無料>(室内ぼたん庭園・諸堂拝観含)
詳しくは 可睡斎ホームページ をご覧ください。
~ 可睡斎について ~
応永8年(1401年)に如仲天誾禅師が山号を「萬松山(ばんしょうざん)」、寺号を「東陽軒」として開山されました。
明治6年には、秋葉寺から秋葉総本殿三尺坊大権現様の御真躰が御遷座され、有栖川宮幟仁親王により「秋葉総本殿」の扁額を賜りました。
このことにより、火防(ひぶせ)の霊場 として全国津々浦々に名声が響き渡り、多くの信者の尊崇を集め、今日に至っています。
「可睡斎」の名称の由来は、第11世である仙隣等膳和尚の時代に遡ります。徳川家康公が幼少の頃、仙隣等膳和尚に教育を受けたことが縁となり、後に浜松城主となられた家康公は和尚を城に招かれました。
当時を懐かしむ話に花を咲かせている最中 、居眠りを始めた和尚をご覧になった家康公はにっこり微笑み「和尚、睡る可し(ねむるべし)」とおっしゃいました。 この逸話が広まり、 いつしかお寺の名前も「可睡」と呼ばれるようになりました
可睡斎と家康公のご縁について、詳しくは 可睡斎ホームページ をご覧ください。